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第20回腹証奇覧・奇覧翼を読み終わって

  • 執筆者の写真: 備忘録 東洋医学
    備忘録 東洋医学
  • 9月9日
  • 読了時間: 3分

更新日:11月9日

腹証奇覧・奇覧翼

腹診は腹を重視する日本の文化の中で発展してきました。文礼以前にも腹診書はありましたが、腹だけを描いたものがほとんどでした。文礼は腹だけで無く、手足も顔も病人さん全体を描きました。腹だけでなく、なぜ患者さん全体を描いたのか、そこにこの書物の独創性があると思います。腹診書には図とともに解説文がありますが、残念ながら文礼の図も文章も稚拙と思わせる部分が私がみてもありました。弟子の叔虎が嘆いたのも無理はありません。叔虎は腹証奇覧の未熟な仕上がりを弟子のせいと嘆き、それを輔翼する腹証奇覧翼を描いたのです。奇覧翼は文章も図も緻密で、教科書になるような素晴らしいできです。最初、私は叔虎と同じように文礼の腹診図にとまどい、こんな図を金科玉条のごとく学ぶ必要はない、叔虎の書物だけを勉強する方が、むしろ迷いなく学べる。文礼の腹証奇覧を読むのはやめて、叔虎の腹証奇覧翼だけを読もうとさえ思ったのです。しかし、二人の描いた異なる腹診図を何度も見ているうちに、文礼の図が気になってしかたないという思いに何度もかられたのです。『教科書的には叔虎の図の方がいいんだけれども文礼の図の方が、実際に自分がみている患者さんに近いのではないか』と思うようになったのです。叔虎の図は教科書的で優れているのですが、それは普遍化を試みた図です。たとえば腹直筋の緊張は小建中湯証の大事な目標ですが、文礼の図では羸瘦して筋肉自体が薄くなり、腹部の筋肉の筋が縦横に透けてみえるような図を描いています。一般的な小建中湯のお腹とは違っているのです。しかし、逆の見方をするとこんなに羸瘦して弱り切った患者さんを小建中湯で治していたんだことに気づきます。文礼は自分が治療したありのままの患者さんの姿を描いていたのです。

『病気では無く病人さんそのものをみることが大切』という事を私たちはまず最初に学びますが、初心は薄れ、○○には○○という標準治療のみを往々にして求めてしまいがちです。普遍化と個別化という医学医療のかかえる問題点を二人の書いた書物は象徴しているように思います。普遍化と個別化はどちらも大切な医学医療の課題です。文礼と叔虎の書物はお互いを補い合う2つで1つの書物だったのです。

 こうして、腹証奇覧・奇覧翼を読む会は、同じ処方に対する腹診所見を対比しながらまなぶという形でスタートし、2年、20回の歳月をかけて最終回を迎えることができました。

○○には○○湯という発想を超えて、なぜこの腹証が現れたのか、身体の中では何か起こっているのか、内臓体壁反射として起こっていること、その意味は?叔虎は文礼のどこが足りないと思ったのか、それでいて叔虎が自分には越えられない師匠文礼のすごみはどこにあったのか、稲葉文礼の師匠であった鶴泰栄は、読み書きもできない文礼の弟子入りを初対面で許したのはなぜなのか、また同様に、文礼は叔虎に初対面で「君こそは私の同志だ」と言ったのはなぜなのか、訓詁の学でなく、今、目の前の患者さんを目に四苦八苦している弟子として、同志として学びを深めることが少しはできたのではないかと考えています。私たちは、常に自分がこれまで学んできた色眼鏡かかけて患者さんをみています。観察の理論負荷性という言葉がありますが、患者さんに対面する時には、先入観を外してありのままの患者さんの姿をみていくこと。そのことを2年間を通して学ばせていただきました。師匠と弟子のすばらしい物語を読ませてくださった文礼と叔虎に感謝するとともに、この難しい書物と一緒に格闘していただいた北摂中医学研究会の皆様に心より感謝申し上げます。


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