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臨 床

木の幹は、外側だけが生きていて内側は生物学的には死んでいます。
しかし、死んだ部分は枯れているわけではありません。本当に枯れた枝木はポキポキと音を立てて折れますが、生物学的に死んでいると言っても、生きている樹皮に支えられて瑞々しさに満ち、内側から木を支える骨格となり、木のゆくべきベクトルを定める大事な役割を担っています。その意味で死は、決して消滅ではありません。木のウロを樹洞と呼びます。樹洞は、幹の内側の死んだ部分の骨格が折れるなどして壊れ、その外側からまた、樹皮が再生したことによってできた自然の産物です。その過程で樹洞にいる微生物が繁殖して、土が根付き、スミレが奇跡的に咲いているのです。全ては死と生の連続から成り立っています。木の樹皮の死と生、微生物の死と生。その上で生きるスミレの奇跡。
煎じ薬にせよ、エキス剤にせよ、東洋医学において湯液の処方とは、一度収穫し、乾燥させて、剤となった植物が人間の体の中で再び蘇り、薬効を発揮し、再度生きるプロセスといえます。生薬と呼ばれる所以とも言えるでしょうか。
樹木と同じように、死と生は常に人間の細胞の中でも繰り返し生じています。
それをどれだけ鮮明に切り取り、感じ、生薬と対話し、病人さんにフィードバックできるのか。そこに臨床の怖さ、醍醐味、苦しみ、喜びがあります。
過去の症例は単なる記録です。しかし、記録の積み重ねの中にみる死と再生は、次に診察する患者さんへの癒しに繋がります。


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