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深 考
人生で93回も引っ越ししたという、画匠葛飾北斎。
『私は6歳の頃からモノの形を写す癖があり、50歳の頃から多くの作品を発表してきたが、70歳までに描いたものは取るに足りない。』といい、最期には、『天が私の命をあと5年保ってくれたら、私は真の画家になれただろうに』
と呟いて亡くなったと言われています。
彼のように、診察を自分の天命が尽きるまで続けられるかどうかはわかりません。
年齢を重ねれば見えてくるものがあるのではない。
磨かれるということは身を削られるということだという事実を静かに受け入れることができるかどうか。
何かを成し遂げた時には、成し遂げていないことがもっと深く見えるだけだという事実。
北斎は、その境地においても、楽しげに、一銭の金にならなくても筆を握り描き続けたのです。
その情熱と愛はどこに向けられていたのでしょうか?
自己が絵を描いているという意識さえなくなり、自然という造作が作った美しさに筆が勝手に動いていたのでしょうか?
謙虚に、削られることを楽しみ、静かに生きてみない限り、答えは見えてこないように思います。


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